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三上満さん逝去 [その他(雑感など)]

教育評論家の三上満さんが逝去されました。
83歳、食道がんだったそうです。
(くわしくはこちら

三上さんは、あの「金八先生」のモデルとしてよく知られていますが、宮沢賢治の研究もされており、『明日への銀河鉄道―わが心の宮沢賢治』などの著書があります。
さいたま文学館でも講演されたことがあり、小鹿野町の寿旅館に賢治ら一行が宿泊したことを記録した日記が見つかって間もないころ小鹿野町に来訪されたこともありました。
また、三上さんは保阪庸夫さんとも親しく、北杜市にある明野子ども美術館の賢治祭にもしばしば参加されていました。

突然の訃報に驚くばかりですが、心より御冥福をお祈り申し上げます。


賢治の旅 賢治への旅

賢治の旅 賢治への旅

  • 作者: 三上 満
  • 出版社/メーカー: 本の泉社
  • 発売日: 2013/06/20
  • メディア: 単行本




明日への銀河鉄道―わが心の宮沢賢治

明日への銀河鉄道―わが心の宮沢賢治

  • 作者: 三上 満
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 単行本




野の教育者・宮沢賢治

野の教育者・宮沢賢治

  • 作者: 三上 満
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本



賢治の北斗七星―明日へのバトン

賢治の北斗七星―明日へのバトン

  • 作者: 三上 満
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 単行本



いま、宮澤賢治の生き方に学ぶ

いま、宮澤賢治の生き方に学ぶ

  • 作者: 三上 満
  • 出版社/メーカー: 本の泉社
  • 発売日: 2012/05
  • メディア: 単行本



三上満と松野迅がおくる星めぐりの歌―ライヴCDブック

三上満と松野迅がおくる星めぐりの歌―ライヴCDブック

  • 作者: 三上満
  • 出版社/メーカー: 音楽センター
  • 発売日: 2010/06
  • メディア: 単行本



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宮沢賢治詩集(白凰社版) [本の紹介]

「宮沢賢治詩集」というタイトルの本がどのくらいあるのか・・・?
なかなか見当がつかないところですが、今回の話題はそのうちの1冊です。
詩人の宮澤章二さんの資料を調べていて『宮沢賢治詩集』(浅野晃編、1965年 白凰社刊)の「鑑賞ノート」を書いたという記述をみつけました。
宮澤章二さんが賢治の詩をどう見ていたかということは、かねてから気になっていたところでしたので、早速読んでみることに。

宮沢賢治詩集(新装版).jpg

なるほど、何となく見たことのある表紙。
(ちなみに写真は初版のものではなく「新装版」です)
図書館なんかにずらりと並んでいるのを見た記憶が?
白凰社という社名だけではわかりませんでしたが、このシリーズの1冊だったのですね。

この詩集の特徴はルビがたくさん振ってあることです。
難読な語だけでなく、中学生くらいでは難しそうな語にもルビが振ってあるのですが、気軽に読むにはこれが意外と読みやすいのです。
ただし、元からのルビは旧かな、編者が追加したルビは新かななので、読んでいて何となく変な気もしなくはありませんが…。

で、肝心の「鑑賞ノート」ですが、これがなかなか含蓄があります。
宮澤章二さんの眼を通して、改めて賢治の詩の魅力に触れられたように思いました。

「解説ノート」の最後は、こう結ばれています。
「なお、私事を記して恐縮だが、私は賢治と同姓であるけれども、関係は全くない。」

実に宮澤章二さんらしい一文…という感じがしました。


宮沢賢治詩集 (青春の詩集 日本篇 5)

宮沢賢治詩集 (青春の詩集 日本篇 5)

  • 作者: 宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 白凰社
  • 発売日: 1987/03
  • メディア: 単行本



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賢治関係イベントなど、いろいろ [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

長期にわたって更新を休んでしまいましたが、このところいろいろイベントが続いておりますのでお知らせいたします。

宮沢賢治記念館が4月25日にリニューアルオープン致しました。
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花巻で「あそこに記念館ができることに決まったのです」という話を聞いたのが昨日のことのように……というのはさすがにオーバーですが(笑)、いつの間にか開館からもう30年も経っていたのですね。
パネルなども色があせてきていたのが気になっていましたが、リニューアルの話が進んでいたのですね。
くわしくはこちらをどうぞ。

このリニューアルオープンに合わせてか、盛岡でもいろいろ展示が開催中です。

岩手県立美術館では特別展示「私が友 保阪嘉内 ―宮澤賢治全書簡」が6月28日まで開催されています。
岩手県美.jpg
「特別展示」とありますが企画展示ではなく常設展示の1コーナーを使用しての展示ですので、あまり大きくPRされておらず図録もありません。
もっとも会場は〝美術館〟ですから、書簡の展示をするだけでも異例なことかと思います。
くわしくはこちらをどうぞ。

もりおか啄木・賢治青春館では「賢治・愛のうた」展が開催中です。こちらも6月28日まで。
青春館.jpg
澤口たまみさんの『宮澤賢治 愛のうた』に基づき、農学校教師時代の賢治の恋をパネル展の形で紹介しています。
くわしくはこちらをどうぞ。

この展示の元になっている著書は、大変興味深い内容です。『春と修羅』収録作品や「シグナルとシグナレス」などの作品から、賢治の隠れたラブ・ストーリー(もちろん女性に対するものです)を浮かび上がらせています。

宮澤賢治 愛のうた (もりおか文庫)

宮澤賢治 愛のうた (もりおか文庫)

  • 作者: 澤口 たまみ
  • 出版社/メーカー: 盛岡出版コミュニティー
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 文庫




そういえば今年は宮沢賢治が盛岡高等農林学校入学して100周年にあたります。
さいたま文学館では、埼玉文芸家集団とさいたま文学館の共催で埼玉大学名誉教授・萩原昌好氏の講演「宮澤賢治の秩父長瀞地質旅行について」などを含む催しが6月7日に開催されます。
春のつどい.jpg
要電話申込みです。くわしくはこちらをどうぞ。

賢治の盛岡高等農林学校時代の地質旅行については、この著書に詳しくまとめられています。

宮沢賢治「修羅」への旅

宮沢賢治「修羅」への旅

  • 作者: 萩原 昌好
  • 出版社/メーカー: 朝文社
  • 発売日: 1994/12
  • メディア: 単行本



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秀明大学で宮沢賢治展 [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

先日、宮沢賢治が盛岡高等農林学校時代の友人・成瀬金太郎に充てた自筆のはがきなど新発見資料が見つかったというニュースが流れてきました。
これらの新発見資料は秀明大学の川島幸希学長が都内の古書店で発見したもので、はがき類9点や写真など計11点だそうです。
(くわしくはこちらからご覧下さい)

11月8日(土)・9日(日)に開催の飛翔祭で公開されるとのことなので、「これはぜひ見に行かねば!」と思っていたところ、大学から案内のチラシが届きました。

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11月9日(日)13:00~14:00には、宮澤和樹氏による講演も行われます。


■川島幸希氏の著書

国語教科書の闇(新潮新書)

国語教科書の闇(新潮新書)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/08/10
  • メディア: Kindle版



英語教師 夏目漱石 (新潮選書)

英語教師 夏目漱石 (新潮選書)

  • 作者: 川島 幸希
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/04
  • メディア: 単行本



書き写したい言葉 漱石の巻

書き写したい言葉 漱石の巻

  • 作者: 川島 幸希
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 単行本



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花園農村の碑 碑前祭 [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

山梨県韮崎市の「保阪嘉内・宮沢賢治 アザリア記念会」から碑前祭のお知らせをいただきました。

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2014年10月25日(土)午後1時30分から、東京エレクトロン韮崎文化ホール前庭にて。
くわしくはこちらをご覧下さい。



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宮沢賢治・保阪嘉内友情の歌碑祭 [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

9月7日の午後1時30分から埼玉県の秩父郡小鹿野町にある、おがの化石館前庭で「宮沢賢治・保阪嘉内友情の歌碑祭」というイベントが開催されることを前回の記事でお知らせしましたが、本日行って参りました。
このイベントは、来る2016年の宮沢賢治小鹿野来訪100年に向けてのプレイベントとして、小鹿野賢治の会主催、小鹿野町・小鹿野町教育委員会・バンビサービス協同組合・奈倉耕地の後援、アザリア記念会の協力で開催されたものです。
朝から雨模様で開催が危ぶまれましたが、ちょうどイベントに合わせたかのように昼前には雨も上がり、会場では予定通り設営が始まりました。

歌碑.jpg
これが宮沢賢治・保阪嘉内の「友情の歌碑」です。
平成9年3月に小鹿野賢治の会によって建立されたもので、小鹿野にちなんだ二人の短歌が刻まれています。
写真では2本しか見えませんが、この碑の両脇には4本の欅が並んで植えられており、同人誌「アザリア」の中心人物の4人にたとえて「『アザリア』の木」と呼ばれています。

会場風景.jpg
会場には続々と多くの人が集まってきます。

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受付では記念グッズとして、「暑サニモマケヌ水」と「『アザリア』の木と『友情の歌碑』」をシルエットにしたマグカップが販売されていました。

顔出し.jpg
あなたも宮沢賢治と保阪嘉内になれる?
こんな「顔ハメ」のできる似顔絵パネルも会場に設置されていました。

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イベントは予定通りに始まりました。
小鹿野賢治の会の守屋勝平会長の主催者あいさつ。

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保阪家を代表して、保阪嘉内の御令孫の新村美佳さんのあいさつ。
小鹿野歌舞伎の法被をまとってのみごとな口上に、芝居好きだった保阪嘉内の血を感じました。

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引き続いて保阪嘉内の出身地・山梨県韮崎市で活動するアザリア記念会の皆様による「保阪家 家庭歌」をはじめとする保阪嘉内が作った歌の披露。

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そして、小鹿野町に3箇所ある賢治歌碑・詩碑の建立に尽力された萩原昌好氏(埼玉大学名誉教授)のスピーチ「歌碑祭によせて」。

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地元・奈倉耕地の小中学生による「雨ニモマケズ」の朗読。

なめとこ山の熊.jpg
「ブックボランティアサークルてっこはっこ」の皆様による紙芝居「なめとこ山の熊」。
ちなみに「てっこはっこ」とは、秩父弁でアリジゴクのことだそうです。

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「コーラス薊(あざみ)」の皆様による「星めぐりの歌」ほかの合唱。

セロ弾きのゴーシュ.jpg
そして、最後は「ひまわり保育園」の4・5歳児の皆様による歌「セロ弾きのゴーシュ」。
ぴったり息の合ったかわいらしく元気な歌声が、「ようばけ」にむかって響き渡りました。
練習期間は1か月でしたが、お話がある歌なので、すぐ覚えてしまったそうです。
さすが歌舞伎の町・小鹿野の子供たち。将来が楽しみですね。

こうして無事、2時間にわたる楽しく充実したイベントが終了し、希望者には「ようばけ」の案内も行われました。
きっと2年後の賢治の小鹿野来訪100年の年には、再びこの地で素晴らしいイベントが開催されることと思います。
気が早いですが、今からその日を心待ちにしています。

最後になりましたが、出演者の皆様、そして運営に当たられたスタッフの皆様、お疲れ様でした!
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「宮沢賢治・保阪嘉内友情の歌碑祭」のお知らせ [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

残暑お見舞い申し上げます。
気が付けば最後にブログを更新してから3か月が経ってしまいました。
書きたいことはたくさんありますが、気持ち的にブログの更新をする余裕がなく、次の記事を楽しみにされている方には申し訳ありませんが、当分はあまり更新が進められないと思います。
どうぞ気長におつきあいいただければ、ありがたく存じます。

さて、先日小鹿野町から「宮沢賢治・保阪嘉内友情の歌碑祭」の御案内をいただきました。
小鹿野ちらし.jpg

2016年が宮沢賢治生誕120年であるとともに、小鹿野町来訪100年となるのに向けて「宮沢賢治・保阪嘉内友情の歌碑祭」を開催することになったとのことです。
以下、ちらしからの引用です。

と き 2014年9月7日(日) 午後1時30分から ところ おがの化石館 前庭 (埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野453番地)

おがの化石館の庭には、4本の欅が並んで植えられています。
この木は、宮沢賢治たち4人で作った同人誌『アザリア』の絆を現在に再現したように見えます。この木を『アザリア』の木とし、この木の下にある宮沢賢治、保阪嘉内の歌碑を「友情の歌碑」としてお披露目します。


「広報おがの」8月号にも案内の記事が出ています。こちらをごらんください。

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宮澤賢治センター 5月の月例研究会 [イベント(展覧会・講演会・研究会など)]

宮澤賢治センター(岩手大学)の5月の開催行事の御案内です。

 〈月例研究会〉
5月定例研究会
開催日:2014年5月23日(金)
時 間:17:00~18:00
話題提供者:原田 光 氏 (岩手県立美術館長) 
話 題:賢治保阪嘉内宛全書簡展の構想について
     ~松本竣介にも触れながら~(仮題)
会 場:岩手大学農学部1号館2階 第1会議室

★終了後希望者によりミニ茶話会 18:00~19:00


詳しくは、宮澤賢治センターのサイトをご覧ください

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『別冊太陽』の新刊「宮沢賢治: おれはひとりの修羅なのだ」 [本の紹介]

平凡社刊『別冊太陽』の新刊が発売されました。

今回のテーマは「宮沢賢治: おれはひとりの修羅なのだ(日本のこころ218)」です。
監修は栗原 敦・杉浦 静の両先生で、テーマによってさまざまな人達が執筆に関わっています。

宮沢賢治: おれはひとりの修羅なのだ (別冊太陽 日本のこころ)

宮沢賢治: おれはひとりの修羅なのだ (別冊太陽 日本のこころ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: ムック


「その生涯を自筆原稿や書簡、手帳やノート、資料図版でたどり、詩や童話などの創作活動とともに地学研究や農業、教育などの実践的活動の軌跡にも迫る。没後80年記念出版」
平凡社のWebサイトより)

まさに〝1冊まるごと宮沢賢治〟とでも言いたくなるほど充実した内容で、「評伝」として賢治の生涯をたどりつつ賢治のさまざまな面を紹介しています。
最後の頁に「どうぞ、てんでにすきなように、とびどぐもたずにみてください」と編集者の言が書かれていますが、どこからでも読めるように作られていますので、ランダムに開いてみるのもおもしろそうです。
そこには、新しい発見があるかも知れません。
定価2,500円(本体)+税ですが、それ以上の価値は十分にあると思います。
当ブログおすすめの1冊です。
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河本緑石の書簡/書簡4(大正7年7月) [人物に関すること]

【4】大正七年七月七日〔消印大正七年七月九日〕  葉書
   (表)東京市外中渋谷六二六 木村様方 保阪嘉内様
      盛岡市にて 義行拝
      七月七日(七月八日は雫石の河原の思ひ出の日也)

嘉内兄、心は静かにさえながら、はらはらとふる夜の雨をききながら。今しがたまで私はまっくらな闇の底を歩いてゐた。私の心が歩いてゐた。
まが/゛\しい灯が闇に浮んでゐた、私の心は何時までも灯を見つめてゐた。淋しい人間の実体を感じたのだ。淋しくもよりあつまって生きてゐる人間――
あーア淋しさがこみあげて来た。
今日も今日とて、宮沢氏は肋莫[ママ]にて実家に帰った。私のいのちもあと十五年はあるまいと。淋しい限りなく淋しいひびきを持った言葉を残して汽車に乗った。(アザリア発送した)十五日頃東京通過。

《凡例》ブログは印刷物とは異なり、横書きでレイアウトの細かい設定等もできないため、版組は原文を忠実に反映したものではありません。なお、原文の表記のままの部分(誤字・当て字や独特な表記など)は赤字で、明かな脱字は本文内に〔 〕で、2字の踊り字は/\または/゛\で表現しました。またルビは、このブログではrubyタグが使用できないため親文字の後に[ ]に入れて小書きで表示しました。

『アザリアの友へ』30頁(図版四)より。
『友への手紙』119頁にも後半部分(「淋しい人間の」以降)が収録されています。
7月7日の日付がありますが、消印は9日になっているので8日の夜あたりに投函したものでしょうか。
日付の後に「七月八日は雫石の河原の思ひ出の日也」と記していますが、これは言うまでもなく『アザリア』第1号発行をうけ、7月7日に同人が集まって行った合評会のあと、興奮のおさまらない賢治・小菅・保阪・河本の4人が8日の午前0時15分から雫石の春木場に向かって徒歩旅行をしたことをさしています。
この徒歩旅行を保阪は「馬鹿旅行」と名付け、『アザリア』第2号では4人がそれぞれに馬鹿旅行に関する作品を載せています。
また、賢治の初期短篇綴の中の「秋田街道」は、この馬鹿旅行を素材にした作品です。
「七月八日は雫石の河原の思ひ出の日也」という一文には、その思い出を大切にしている気持ちがよく表れているように思います。
「ほんの1年前のことなのに、何だかずいぶん変わってしまったなあ・・・」
これを書いた河本緑石の心中にも、受け取った保阪嘉内の心中にも、そんな思いが去来したのかも知れません。

この葉書の前半は自身の心情の吐露ですが、後半には近況としてさまざまな事柄を伝えています。
まず「宮沢氏は肋莫にて実家に帰った。私のいのちもあと十五年はあるまいと」(「肋莫」は原文のママ)という賢治の動静は、河本緑石・保阪嘉内の二人にとってショックな出来事であったことでしょう。
この年(1918年)の15年後といえば1933年・・・奇しくも賢治の没年です。
よく言われることではありますが、何だか自分の寿命を言い当てているようで不思議ですね。
15年という余命の根拠はどこにあるのかわかりませんが、文面は「私のいのちもあと十五年はあるまいと」ですから、賢治はその15年の余命を精一杯生きたという見方もできそうです。

「アザリア発送した」は、6月末ごろ発行された『アザリア』第6号を郵送したということですが、「した」と過去形になっていますから、この葉書を書いた7月7日には発送しているとすれば、葉書を受け取った保阪嘉内の手元には既にその『アザリア』が届いていたことでしょう。
表の「七月八日は雫石の河原の思ひ出の日也」は、こうしたことにも関係しているように思います。

そして「十五日頃東京通過」ですが、帰省の途中に東京で会いたいというメッセージではないでしょうか。
『アザリア』を何とか復活(それが実質的には最後の号になるわけですが)したこと、賢治の病気のこと、自分自身のこと、さらには母を亡くし受験にも失敗した保阪嘉内のこと・・・・そうしたいろいろなことを河本緑石は保阪嘉内と一緒に話したかったのだと思います。
そして、実際に2人は東京で会ったのだと思います。
保阪嘉内が河本緑石に宛てた大正7年10月22日付の葉書に「次はいつか品川駅にて立話せし事、即ちア誌先号残部あらバ至急二部御送附被下度願上候」と書かれていますが、この「品川駅にて立話」はそのことではないでしょうか。

このように、1枚の葉書の中にも『アザリア』の友たちのつながりがよく表われているように感じられます。
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