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埼玉県のホームページ [ゆかりの地]

ひさびさの更新になります。
埼玉県のホームページに知事のブログがあるのですが、5月22日に「宮沢賢治と秩父」
と題した記事が載っています。
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/room-taiko/room-taiko-2505.html

これを機に、県を挙げて取り上げてもらえるとよいのですが・・・。

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氏家に行ってきました [ゆかりの地]

3月16日、ちょうど仕事が休みだったので氏家(栃木県さくら市)に行ってきました。
目的はもちろん、さくら市ミュージアムで17日から始まった企画展「-小菅健吉・宮沢賢治・保阪嘉内・河本義行-『アザリア』の仲間たち」の観覧です。

写真6.JPG

氏家駅です。JR宇都宮線で宇都宮から黒磯行の電車に乗り換えて3つ目です。
さくら市ミュージアムまでは、ここから歩いて約20分です。
(本数は少ないですがバスの便もあります。詳しくはこちら

写真2.JPG

歩いていくとミュージアムの案内版が見えてきます。

写真7.JPG

企画展の看板を見ると、気持ちがはやります。
勝山公園の中をしばらく進むと、さくら市ミュージアムが見えてきました。

写真3.JPG

会場風景をご紹介できないのが残念ですが、企画展「-小菅健吉・宮沢賢治・保阪嘉内・河本義行-『アザリア』の仲間たち」を観覧してきました。
地元栃木県はもちろん、岩手県、山梨県、鳥取県から小菅健吉・宮沢賢治・保阪嘉内・河本義行の4人を中心とした「アザリア」の仲間たちに関するさまざまな資料が展示されていました。
資料は書簡・写真・図書などが主ですが、少し前にこのブログでも取り上げた地質旅行の際に賢治が秩父で採集したとされる岩石標本も展示されていました。

もちろん、その中でも氏家出身の小菅健吉に大きくスポットがあてられた展示構成になっており、小菅家から新たに発見された写真など初めて目にする資料もあり、とても興味深い内容でした。
栃木県ゆかりのほかの「アザリア」同人として鯉沼忍・潮田豊らが紹介されていましたが、小菅健吉・宮沢賢治・保阪嘉内・河本義行の4人に続いて、ほかの同人についても今後追々と調査や研究が進んでいくことを期待してやみません。

また、この展示では宮沢賢治の主治医であった佐藤隆房についても栃木県出身ということで紹介されていました。
初めて読んだ賢治の伝記が佐藤隆房著の『宮沢賢治』だったので、こちらも大変興味深く拝見しました。
ご挨拶させていただいたミュージアムの皆様も真摯で良い方ばかりでした。
残念ながら図録の印刷が少し遅れていて、購入できるのはもう少し先になるそうです。

ミュージアムのある勝山公園は、自然が豊かで桜もきれいだそうです。
今年は桜の開花が例年よりも遅れそうですが、花見の時期に訪れると展示と併せてさらに楽しめそうです。
私も機会を見つけて、もう一度訪れたいと思っています。

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冬の長瀞 [ゆかりの地]

先月、賢治さんの短歌にもうたわれた長瀞に行ってきました。
冬の時期(今年の運行は1月~2月末)しか運行されない長瀞一周船に乗るためです。
冬場は荒川の水位が下がってライン下りができないため、代わりに岩畳周辺を一周する船が出るのです。

長瀞駅.JPG

最寄りは秩父鉄道長瀞駅です。
1911年(明治44年)の開業当時(当時は宝登山駅。1923年に長瀞駅に改称)のままで残されている(つまり賢治さんが訪れた頃とほとんど変わっていない)駅舎で、「関東の駅百選」にも選ばれています。

乗り場.JPG

何年か前にはエンジンの付いた屋形船のような感じだった記憶があるのですが、今は普通の手漕ぎの和船にコタツを乗せた「ぽっかぽっか船」です。
寒い日でしたがコタツはとても暖かく、なかなか風情があります。

出発.JPG

いざ出発。
いつもは岩畳の上から荒川を眺めるのですが、今日は逆に荒川から岩畳を眺めます。

上流.JPG

これが上流側、

下流.JPG

これが下流側の眺めです。
長瀞の「瀞」という文字が表しているとおり、このあたりの荒川の流れはとても緩やかでまるで湖のようです。

つらら.JPG

崖の湧き水のあるところには、大きな氷柱が下がっています。
この下付近に来ると急に冷たさを感じるほどです。

……ということで、20分ほどの船による長瀞一周は終わりました。
賢治さんの詠歌、

  つくづくと「粋なもやうの博多帯」 荒川ぎしの片岩のいろ。

は一般に虎岩を詠んだものだといわれています。
弟の清六さんも虎岩を訪れていますので、有力な説なのだろうとは思います。
でも、歌に即して読み取る限り賢治さんの感動は「粋なもやう」そのものにあるのではなく、そのように見える「片岩のいろ」にあり、この長瀞に広がるさまざまな結晶片岩が織りなす独特な渓谷美を詠んだもののように私には思えるのです。
虎岩に限定してしまうよりもその方が歌のスケールが大きいし、長瀞の風景をよく表しているような気がします。

虎岩.JPG
(ちなみに、これが虎岩です)

本来、この時期の長瀞といえば臘梅が見頃なのですが、今年は寒さがひどくてまだちらほら咲き(日当たりの良いところでは7分咲きくらい?)という感じでした。

臘梅.JPG

さて、賢治さんと一緒に地質旅行で長瀞を訪れた一行の一人でもある小菅健吉さんの展覧会が、3月17日(土)から栃木県さくら市のさくら市ミュージアムで開催されます。
タイトルは「-小菅健吉・宮沢賢治・保阪嘉内・河本義行-『アザリア』の仲間たち」。
印刷物の製作が少し遅れているようですが、チラシが届きましたらまたお知らせしたいと思います。
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小鹿野町探訪 その3 [ゆかりの地]

なかなか更新ができませんでしたが、いよいよ小鹿野町探訪も3回目。
これでシリーズの最終回です。

小鹿野町でお昼といえば、名物わらじかつ丼。
観光交流館の中の食事処でもメニューにありますが、ここは安田屋を訪れることにしました。
わらじかつ丼を出す店では、一番の老舗だそうです。
この店構からすると、元は精肉店だったようです。

安田屋.jpg

普通、かつ丼といえばトンカツを卵でとじたものですが、小鹿野町のわらじかつ丼は比較的薄いトンカツ2枚に醤油だれをくぐらせたものが御飯にのっています。
ソースカツ丼に似てはいますが、ソースカツ丼のようにキャベツはのっていません。
名前の由来は、2枚のカツがわらじのように見えるということでしょう。
1枚は御飯のおかずとしてそのまま食べ、もう1枚は蓋に載せてとっておいて食後の酒の肴にしたものだとか。

わらじカツ丼.jpg

店によっては味噌汁が付いていたりしますが、ここの場合は漬け物だけです。
ちなみに安田屋のメニューはカツ丼だけですので、カツ丼以外のものを食べたいという方には不向きです。

満腹になったので、少し町の中を歩いてみました。

夢鹿蔵.jpg

夢鹿蔵というしゃれた感じの施設があったので入ってみました。
地元の物産をいろいろ販売していて、お土産はここで購入できます。
奥の喫茶・軽食コーナーではカレーやコーヒーなどのほか、町内の食堂から名物料理の出前も取れます。
グループでいろいろなものを食べてみたいという人には良さそうです。

さらに町並みを西に進んで行くと原町の交差点。
三山の皆本沢に出かけた盛岡高等農林学校の一行の帰りは夜になってから。
しかも予定よりも遅かったのでしょう。
心配になったのか、このあたりまで寿旅館の館主は迎えに出た・・・という旨が日記に書いてありました。

ここで三山方面とは別の道を進めば、旧両神村(現在は小鹿野町の一部)を経て旧大滝村(現在は秩父市の一部)に行くことができます。
賢治たち一行は、寿旅館に泊まった翌日はこの道を通って、三峰山に向かったのでしょう。
賢治たちが三峰山に向かったルートもいくつか候補はあるようですが、寿旅館の館主は一行を「落合橋」まで送って戻ってきたと書いています。
つまりは、寿旅館から歩いていける距離に「落合橋」があれば、そのルートを賢治たちは通っていったということになるのです。
地図で見ると原町の交差点から旧両神村に至る道を少し進んだところに橋があって、その近くで赤平川と薄川が合流していました。
川が合流しているところはよく「落合」と呼ばれるので、これが「落合橋」に違いないと見当を付けていたのですが、まさにその通りでした。

落合橋.JPG

落合橋プレート.JPG

寿旅館からの距離は、1.2kmくらいでしょうか。
これなら徒歩でも片道15分くらいですね。

また、寿旅館館主の日記には、初めて三峰山に登る一行に便宜をはかってくれるよう三峰神社の神職に宛てた紹介状を書いて生徒の塩井義郎に托した・・・という記述があります。
1年生の時は賢治が級長で、塩井義郎は副級長でした。
級長は2年続けてはできないことになっていたそうで、2年生の時は塩井義郎が級長で、賢治は副級長でした。
寿旅館の館主が紹介状を塩井義郎に托したのは、彼が級長だったからでしょう。
塩井さんには大変申し訳ないのですが、もし2年生の時に賢治が級長だったなら、ここに「宮沢賢治」の名が記されていたのでは・・・と、いささか残念に思ってしまいました。

そして、小菅健吉もまた賢治と共に小鹿野を訪れた一人です。
『校友会会報』に賢治は「健吉」、小菅健吉は「KENJi」と名前を交換して作品を発表していることはよく知られています。
小菅健吉さんがお元気な時にお目にかかれていたら、地質旅行の思い出話を聞かせてもらえただろうか・・・。
そんなことを考えながら、小鹿野の町を後にしました。

役場の歌碑.jpg
(帰りに小鹿野町役場の賢治歌碑に立ち寄りました)
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小鹿野町探訪 その2 [ゆかりの地]

午後は天候が崩れるというので、雨が降り出す前に皆本沢の散策を切り上げ、小鹿野の町場に向かうことにしました。
途中、皆本の集落と国道とを結ぶ皆本橋の上から、皆本沢と赤平川の合流点が見えました。

赤平沢との合流点.jpg

川幅を考えると大正5年にはもしかした現在の位置にはまだここに橋は架かっていなかったか、あったとしても細い吊橋のようなものだったのではないでしょうか。
橋のたもと近くに川に降りる細い道がありましたので、昔は川を渡るには崖を降りて一旦河原に降りて簡単な木橋で対岸に渡ったのかも知れません。
そのあたりは、今後調べが必要なところです。
赤平川の河原にも一面に枯葉が積もって、とても風情がありました。

そこから、昨年10月にオープンした「観光交流館 本陣」に向かいました。
外観はかつて本陣寿旅館であったころの雰囲気をよく残しています。
近くに無料駐車場も用意されているので、車で来てもゆっくり見学することができます。
館内には食堂もあり、小鹿野名物の「わらじカツ」も食べられます。

観光交流観.JPG

いよいよ中に入ります。

観光交流観入口.JPG

母屋は情報交流棟となっていて、入って左側に「郷土ギャラリー」が設置されています。
もちろん、宮沢賢治コーナーもあります。

賢治コーナー.JPG

小鹿野と宮沢賢治のかかわりがパネルで紹介されており、田隝保日記の実物も見ることができました。
町の教育委員会では展示用の複製を作ったとのことでしたので、もしかしたら現在は複製に変わっているかも知れませんが・・・。

日記.JPG

こちらが皆本沢で取れる亀甲石だそうです。
賢治さんたちも皆本沢でこうした石を採集したのでしょうか。

亀甲石.JPG

こちらが観光交流館のパンフレットです。

パンフレット.jpg

中には「宮沢賢治宿泊の宿」と題して、賢治さんと小鹿野の関係や田隝保日記などについて写真入りで詳しい説明があります。

パンフ内容.jpg

これをもらうのを忘れてはいけません!
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小鹿野町探訪 その1 [ゆかりの地]

先月、気になっていた「皆本沢」を実際に見ておこうと、小鹿野町を訪れました。

小鹿野町の本陣寿旅館の主であった田隝保さんの日記から、大正5年に盛岡高等農林学校の地質旅行の一行が宿泊した記述が確認されたという記事を昨年8月にアップしました。
この日記によれば、賢治ら一行は大正5年9月4日の午前中に小鹿野町に到着し、その後「皆本沢」に向かい、夜になって旅館に戻ってきたようです。
「皆本沢」とは、小鹿野の町場からさらに西(群馬県方面)に向かった三山の地内にある赤平川の支流の一つで、旅館からは9kmほどの距離になります。
行楽シーズンが終わったら、一度現地を探訪してみたいと思っていました。

国道から皆本沢へ向かう道は細いので、うっかりすると見落として通り過ぎそうになります。
こういう時、カーナビのありがたさを感じます。
途中で車に出会わないことを祈りつつ細い道を進みましたが、皆本の集落で1台対向車をやりすごしてさらに奥地に進みます。
しばらく進んでいくと小さな橋がかかっており、下に小川が流れていました。
この辺からは徒歩です。

皆本沢.JPG

橋のプレートを確認すると間違いなくこれが皆本沢でした。

皆本沢プレート.JPG

まさに「沢」という言葉がぴったりくるような、大人なら一またぎできるほどの川幅ですが、両岸には至る所に縞模様の地層が見られ、確かに地質調査には手頃なところのように見受けられました。

皆本沢の川岸.JPG

川に沿って林道も通っており、どこからでも沢に降りることができそうです。

皆本沢沿いの道.JPG

これまで、賢治の歌稿に「小鹿野」と題した「さわやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな」という歌があることから、9月4日の行程として夕方に「ようばけ」に出かけたという説が有力でしたが、田隝保日記の記述から歌中の「秩父の峡」とは「ようばけ」ではなく皆本沢のことのようです。
この歌の「秩父の峡」を「ようばけ」と考えるのは時間的にも、また景観的にも無理があるように常々思っていたのですが、田隝保日記のおかげで疑問が完全に氷解しました。

聞こえてくるのは、皆本沢の水音だけ。
それと時々吹く風に、道に積もった落ち葉がカサコソと乾いた音をたてるくらいです。
俗世の塵にまみれた心が洗われるような思いさえします。
どこまででも奥に進んでみたい趣のあるところではありましたが、落石のため道路が途中で通行禁止になっていました。
賢治さんたちはどのへんまで行ったのかな・・・などと思いつつ引き返しました。
「半月かかる薄明」ではありませんが、気分は「秩父の峡のかへり道」です。

秩父の峡のかへり道?.JPG
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小鹿野町観光交流館オープン [ゆかりの地]

宮沢賢治が盛岡高等農林学校の地質旅行で大正5年9月に秩父を訪れた際に宿泊した「寿旅館」。
廃業後は町が買い取って公共施設として整備を進めてきましたが、いよいよこの10月8日に「小鹿野町観光交流館」としてオープンしたそうです。

小鹿野町観光交流館.jpg
(「広報おがの」10月号より)

この整備中に、賢治ら一行が宿泊したことを記した館主の日記も発見されており(詳しくはこちら)、館内には宮沢賢治コーナーも設置されるとのことです。
何とか年内に行ってみたいところです。


なお、にじさんからの情報で、11月14日の1時15分から小鹿野文化センターで「文学講座 宮沢賢治を読む」(講師・須藤与志氏)も開催されるとのことです。
町としても力を入れているところでしょうか。
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盛岡高等農林学校職員生徒一行二十五人宿泊ス [ゆかりの地]

大正5年(1916)の9月、盛岡高等農林学校農学科第2部の2年生であった賢治さんは、「地質旅行」と称する課外観察旅行に参加して、埼玉県を訪れました。
宮沢賢治記念館で1994年に開催された企画展「宮沢賢治と埼玉秩父」において、監修者の萩原昌好氏が研究成果を元にそのルートを綿密に推定されていますが、その中で9月4日には小鹿野町の寿旅館に宿泊したと考えられています。

当時は、賢治ら一行が宿泊したことを示す資料は見つかっておらず、あくまでも〝推定〟で、寿旅館も2008年に廃業してしまいました。
ところが、このたび町教育委員会が同旅館の当時の館主の日記を整理していたところ、大正5年9月4日に「盛岡高等農林学校生徒職員一行二十五人宿泊す。三田川村皆本沢へ向かい明日は三峰山と。本日午後盛岡高等農林学校定宿の看板を掲げる」との記述があったそうです。
また、翌5日には「盛岡高等農林学校関先生、神野先生、生徒二十三人を送る」ともあるそうです。
これで、9月4日に寿旅館に宿泊したとする萩原氏の推定が正しかったことが証明されました。

一方、私は同時に氏の賢治ら一行が投宿後に「ようばけ」を見学に行き、「ようばけ」から宿への帰り道に「さわやかに半月かゝる薄明の秩父の峡のかへり道かな」という短歌を詠んだという説には、疑問を感じていました。
なぜなら、9月4日の朝に皆野町の金崎を出発して馬車で小鹿野に向かったとすれば、「ようばけ」はその途中にあるからです。
(もちろん街道からは少し道がそれるので、ちょっと寄り道にはなりますが)
投宿してから「ようばけ」を見るために、わざわざ来た道を戻るのはおかしいのでは?
おそらくは、宿に不要な荷物を置いてさらに奥地へと向かったのでは?
それに「峡」というには「ようばけ」のあたりは谷が開けているような?
・・・と、思っていたのです。
新たに見つかった資料によれば、賢治さんたちは宿(寿旅館)に一旦投宿してから「三田川村皆本沢」に向かったようですね。
そうだとすれば短歌の中の「秩父の峡」は、「三田川村皆本沢」附近ということになります。
そして短歌ともよく合致します。
これで謎が一つ解けた感じがしました。
ちょうど今、その研究ノートの原稿を当時の交通関係の資料を元にまとめていたところでしたので、まさにグッドタイミングでした。

小鹿野町では、この旧寿旅館を観光交流館としてこの秋オープンの予定で整備を進めており、館内には宮沢賢治のコーナーも設けられるそうです。
オープンしたら、ぜひ訪れたいところです。


詳しくは下記をご覧ください。
【朝日新聞】
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001108030002
【読売新聞】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20110802-OYT8T01182.htm
【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110803/CK2011080302000052.html
【47NEWS】
http://www.47news.jp/localnews/saitama/2011/08/post_20110803094610.html


小鹿野町の「ようばけ」といえば、宮沢賢治・保阪嘉内歌碑のある「おがの化石館」では、夏休みに合わせて『秩父の大地は語る~地層と化石のドラマ~』という特別展を開催しています。
くわしくは下記をどうぞ。
http://www.town.ogano.lg.jp/news/topics/news.php?mode=detail&id=10099

「賢治の事務所」加倉井さんによる大正5年9月4日の「さわやかに半月かかる薄明」のシミュレーション
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/h3/19160904.htm
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韮崎市民交流センターの愛称・ロゴデザイン決定 [ゆかりの地]

保阪嘉内の故郷・山梨県韮崎市でオープンに向けて準備中の市民交流センターですが、このほど公募による愛称とロゴデザインが決定したそうです。
http://www.city.nirasaki.lg.jp/art1545
ちなみに、愛称は「二コリ(NICORI)」だそうです。

オープンまであと1か月ほどとなりました。
1階の「ふるさと偉人資料館」には保阪嘉内のコーナーもできるようですが・・・。
たぶん来月号の「広報にらさき」に詳しい情報が載るのではないかと思います。
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出没アド街ック天国 [ゆかりの地]

本日(7月2日)放送の「出没アド街ック天国」では、秩父の長瀞が取り上げられていました。
こうして見ると、「いいところだなー」と、つくづく思います。
長瀞には何度も行きましたが、まだまだ魅力ある場所がたくさんありますね。
ここの「山いもステーキ定食」とか、食べたいものもいろいろ(笑)
ひさびさに秩父に行きたくなりました。

番組の中で宮沢賢治が長瀞で詠んだという短歌が、出演者によって紹介されていました。
宮沢賢治は片岩が好きでここで詠んだ歌にはみんな「片岩」という言葉が入っているとのこと。

  秩父なる
  大古の海に沈みけん
  片岩だちの
  あわれ、夏の日、


(番組の中では2行目がちょっと変えてあったような気もしますが)

うーん・・・(--;)
これらの歌を詠んだのは、宮沢賢治・・・ではなく宮沢賢治の親友の〝保阪嘉内〟という人なのですが。
でもまあ、こうした歌が取り上げられるのは良いことだと思います。

番組で紹介された長瀞のBEST30は、下記からご覧いただけます。
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/110702/index.html
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